いわぶち友

日本共産党 参院比例

小高の今

26日と27日に警戒区域が見直された南相馬市小高区に行ってきました。津波にのみこまれた1年前のままの光景が広がっていました。

26日は青年のみなさんと一緒でした。

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案内をしてくれたのは、日本共産党南相馬ボランティアセンターの宮前さん、小高の高木さんと三浦さんです。

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がれきの山は片付けるためにできたものではありません。遺体を捜索するためにできたものです。

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宮前さんが相談を受け、片付けを手伝っている女性のお宅です。義母さんを津波で亡くされたそうです。

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家の中には津波の跡がありました。カレンダーも去年の3月のままです。

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小高の駅前商店街です。

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高木さんが営んでおられたラーメン店へ。

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6号線を超えて津波が押し寄せました。

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このお店にも全国から党のボランティアの方々が来ています。店の駐車場には店内の泥が並べられていました。泥やがれきは持っていってはもらえません。敷地の中に置くしかない状態です。

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海沿いの農地は海抜ゼロメートル。水を排出する水門がありますが、原発事故でずっと開けることができないままでした。今でも田んぼだったところがまるで湖のようになっています。

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三浦さんの家の前は田んぼや鶏舎がありましたが海の中でした。100年以上前に開拓してきた土地。十分な収穫が得られるようになってきたと思った矢先の原発事故です。1年以上も海水につかってしまった田んぼ。ここで農業を続けるということは、多くの時間を土地を元通りにするための作業に費やさなければならないそうです。しかも原発はこれからどうなるかも分からない状況です。

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浪江町との境。ここは浪江小高原発の建設計画があった場所です。気象塔がたっています。しかし、運動で建設させなかった。原発が建設されていたらと思うとゾッとします。

電気も水も通っていない状態で片付けもできない状態です。一年も手を入れることができなかった家はとても住める状況ではないそうです。しかも賠償打ち切りの話も出ています。

28日には視察の報告会も行われました。ボランティアなどもやっていこうという話も出されています。

27日は、党奈良県委員会のみなさんと訪れました。ペドロさんというフランス在住の画家の方が、福島の支援のためにと描いた絵を福島県党に寄贈して下さったのです。

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案内は渡部寛一南相馬市議がしてくれました。原発事故のせいで津波の被害者を助けることができなかったこと、事故後に渡部市議が自衛隊と一緒に水門を開けるために何度も通ったことなどを聞きました。

戻ることができない状態なのになぜ区域の見直しなのか。事故を小さく見せたい、早く賠償を打ち切りたい、東京電力と国の勝手な思惑が見えてきます。